花 小黍の穂 秋明菊
花器 角杯掛け花入れ
黍は わが国へは弥生時代に中国から渡来しました。
古くから五穀のひとつとされ、盛んに栽培されて
きましたが、今では長野県や岩手県で細々と
栽培されている。程度です。うるち種ともち種があり
高さは1~2メートルになります。種子が黄色いことから
古くは黄実(きみ)と呼ばれ、それが転訛して「キビ」
となりました。
私が生まれ育ちました所は、乾燥地帯で、米の生産が
出来ませんでしたので、白米飯が食べられますのは
正月、盆、冠婚葬祭,その他特別の日だけでした。
普段の食事は、朝は、麦飯に味噌汁、漬け物、
放し飼いの鶏の生卵、山羊の乳、
昼は弁当で麦飯の上に載せた梅干し、のり
(つまりのり弁)佃煮、
おやつには、薄焼き、サツマイモ、黍の小さな
おにぎり、その他季節によって色々。
夜はあの有名なほうとう、(これにはいつもたっぷり
の野菜が入っておりました。)惣菜は肴の干物や乾物を
もどして野菜と炊きあげた物や、たまには鶏を潰して
まるまる一匹を色々調理して食べさせてくれました
特に頸の部分は子供の仕事で、最初は金槌で,ある程度
崩れたら、後は出刃包丁でとんとんとんとん柔らかく
なるまで叩くのでした。幼かった私でも調理に参画して
いるようで嬉しく作業をしたように覚えております。
今、こうやって黍から1950年代の実家の食事を
振り返ってみますと、質素ではありましたが、
栄養のバランスのとれた物でした。
それでか 小学校時代は皆勤賞をもらうほど健康優良児
でした。
お粗末様でした |